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COLUMN

コーヒーの香りと歴史、そしてエスプレッソマティーニ

カテゴリ: リキュール 作成日:2019年10月16日(水)

焙煎コーヒー豆は、小さいながらも非常に複雑なフレーバー化合物(香りの成分)の塊です。1,000を超えるフレーバー化合物が記録されていますが、これはワインをはるかに超えています。 焙煎中にコーヒー豆の中のタンパク質と炭水化物が結合することでこれらのフレーバー化合物が生まれ、緑色の無臭のコーヒー豆を複雑な香りの世界に変えます。


焙煎技術がコーヒーの香りにとても大きく盈虚王するのはメイラード反応と呼ばれるこのプロセスは、焦げたステーキ、カラメルや他の食べ物にも香ばしさを与えます。

 

むかしエチオピアに住んでいたカルディというヤギ飼いが、“小さな赤い実”を食べたヤギ達がエネルギッシュになりジャンプしたり踊ったりすることに気づきました。僧侶に言われてカルディはその “小さな赤い実” を焼いて挽いてみました。こうして世界で初めてのコーヒーが生まれたのです。
コーヒーはまずアラビア半島のイエメンに"信仰のため"の飲物として伝わりましたが、瞬く間にメッカ、カイロ、バグダッドへと広がり、これらの地で最初のコーヒーショップが生まれました。 人々はコーヒーショップでコーヒーを楽しみながら文化、商業、イスラム神学について議論し、コーヒーショップは"賢者の学校" と呼ばれました。

イスラム圏以外で最初にコーヒーを輸入した都市はヴェネツィアでしたが、当初は "苦い悪魔(異教徒)の創造物" として冷ややかな目で迎えられました。しかし、コーヒーを気に入ったローマ教皇クレメンス8世が 「コーヒーに洗礼を受けさせてキリスト教徒にする」 と宣言したことによりコーヒーが中央ヨーロッパに広まりました。

 

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ほどなく西ヨーロッパの人々をも虜にしてしまいます。 50年の間にロンドンだけで300以上のコーヒーショップが生まれました。中東と同じように、作家、芸術家、詩人、哲学者などクリエイティブな人々が集い、1ペニーを払えば、一杯のコーヒーと共に刺激的な会話を楽しむことが出来ました。こうして英国のコーヒーショップは "ペニー・ユニバーシティ" として知られるようになりました。万有引力を発見したアイザック・ニュートン卿の理論の多くは、リンゴの木の下よりもコーヒーショップで考えられたとさえ言われています。

商才に富んだオランダ人がコーヒーの栽培を始めたのは1616年で、オランダの植民地であったジャワ(インドネシア)で盛んにおこなわれました。当時コーヒーの木は貴重な財産でとても厳重に管理されていましたが、ガブリエルというフランスの船員がルイ13世の私有庭園からコーヒーの苗木を盗み出し、西インド諸島に密かに持ち込みました。その一本の苗木が50年の間にその島だけで1800万本のコーヒーの木になりました。

オーストラリアにコーヒーが伝わるにはさらに2世紀かかりました。禁酒運動を契機にコーヒーはビールに代わる新たな選択肢として登場しました。第二次世界大戦後にはイタリアからの大量の移住者が、今日もなお根強いエスプレッソ文化をもたらしました。今オーストラリアは革新的なコーヒー文化を持つ市場として世界中に知られています。

HISTORY OF THE ESPRESSO MARTINI
時は1983年、バーはロンドンのソーホー・ブラッセリーでのことでした。スーパーモデルが「メチャクチャ目の覚めるお酒を」とバーテンダーに言いました。バーテンダーは偶然にもカクテル・レジェンドのディック・ブラッドセルで、幸運なことにバーにはコーヒーメーカーがありました。ディックはダブルのウォッカにコーヒーリキュールとエスプレッソを加えてシェークしました。こうしてエスプレッソマティーニが生まれました。